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小河原政徳

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幕末の上野国前橋藩の家老。通称は左宮。字を子辰。小河原左宮(おがわらさみや)として知られる。寛政末年に外国船が来航するようになると、江戸湾防衛の必要性から上総国富津にもいわゆる海防台場・海防陣屋が築かれた(1801年)。その後、白河藩、幕府、忍藩、会津藩、柳川藩、二本松藩の手を経て、幕末から戊辰戦争がはじまった頃にこの富津陣屋の要害を守備していたのは、上総国内に飛び領4万5千石をもっていた前橋藩だった。鳥羽伏見の戦いの後江戸に帰還した徳川慶喜が謹慎に入ると、前橋藩はいち早く新政府へ恭順の意を示したが、伊庭八郎ら率いる遊撃隊と旧請西藩兵からなる佐幕軍が木更津に結集し、富津陣屋を攻撃する構えを見せた。小河原は旧幕軍の撤退を求めるが、逆に旧幕軍は富津陣屋と台場を武器ごと明け渡すよう要求。富津陣屋には少数の藩兵しかおらず、やむを得ず小河原は奉行(指揮官)の白井宣左衛門に兵士を託して陣屋を無血開城、その場でその責任を負って自害して果てた。ところが後日、これが「前橋藩は旧幕府軍と内通していた」という噂となって新政府側に伝わり、前橋藩は新政府から厳しい問責を受ける。これを知った白井は、全責任を負うとして自害して果てたため、新政府は前橋藩の行為については不問とした。前橋藩では、小河原と白井は藩と藩兵を救うために犠牲になった者として後々まで敬まわれた。また富津では陣屋城下を無用な戦火から救った両名の英断を称え、今日でも毎年塔婆をたてて供養が行われている。
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