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陳元達

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中国五胡十六国時代の前趙(当初の国号は漢)の官僚。字は長宏。新興(山西省忻州)の人で、元来の漢姓は高氏だと伝わるが、匈奴姓は不詳。匈奴後部の族長の子として生まれる。だが、少年時代に両親を失い、そのために指導者を失った彼の部族は四散した。親戚に当たる陳氏の猶子となり、故郷から近い平陽で、農耕や狩猟で生計を立てながら、学問に没頭した。時は西晋の波乱に満ちた乱世で、彼はそれを冷めた目で見て、仕官を一切しなかった。やがて、旧知で同郷の劉淵が勃興すると、同じ匈奴ということもあり、また劉淵の招きもあり、直ちに馳せ参じた。既に漢王と称した劉淵は旧友の陳元達が自分の下に来たことを喜び、すぐに黄門侍郎に任命した。以降も陳元達劉淵のよき相談役となり、前趙の建国に大いに貢献した。310年に皇帝の劉淵が没し、長男の皇太子兼梁王の劉和が立つも、間もなく異母弟の楚王の劉聡の謀反によって、妻と息子達とまとめて殺害され、劉聡が皇帝に即位した。そして劉聡は亡父の代からの老臣である陳元達を廷尉(法相)に任命した。だが、陳元達は剛直の士であり、常に劉聡に直言を繰り返した。次第に劉聡も辟易し、自分の腹心で宦官である王沈を中常侍に任命し、これを重用した。すると陳元達は王沈の悪評が有名ということで、劉聡の庶長子である驃騎将軍の河間王・劉易と共に王沈を糾弾した。これを聞いた劉聡は以前の宮殿造築阻止の諌言の件のことも含めてとうとう激怒して、元勲の陳元達に向かって、「鼠子(=そし、醜い鼠)めが!」と陳元達を汚く罵り、これを処刑しようとした。だが、大司徒・任凱、光禄大夫・朱紀、太宰・范隆らが思わず平伏し「陳元達は先帝以来から信頼が篤いお方です。なにとぞ前言撤回で、ご慈悲の程を…」と嘆願した。さすがの劉聡もこれを取り下げたが、陳元達の官職を剥奪し、謹慎を命じた。そして引き続き王沈を列侯に封じた。だが、太子の劉粲と皇后?氏の父である?準は陳元達が自分達の禍になるのを恐れ、これを讒訴した。すると劉聡陳元達と自分の庶長子の河間王・劉易に死を賜った。こうして、劉易は父の理不尽な行為にあまりのことで憤死し、陳元達も自邸で「私の運命も最早これまでだ」と述べて、非業の自決を遂げた。
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五胡十六国時代の前趙の創建者。ただし、劉淵自身は国号を「漢」としている。

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